吉田茂の国葬はいつ?開催決定の理由や費用はどのくらい?学校休み(半休)にも

吉田茂の国葬はいつだった?
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安倍元総理の国葬が2022年9月27日(火)に執り行われることになりました。かつて首相経験者で国葬を行ったのは戦後においては、吉田茂氏のみでした。

しかし、「国葬令」は1947年に失効したものの1967年に吉田茂氏の国葬は開催されています。

今回は、吉田茂氏の国葬はいつ?開催決定の理由やさらに費用はどのくらいだったのか等についてみていきたいと思います。

目次

吉田茂氏の国葬はいつ?

吉田茂

首相経験者で戦後唯一、国葬を開催されていた吉田茂氏ですが、国葬はいつ執り行われていたのでしょうか。

1967年10月31日

場所は日本武道館で開催されました。

もともと国葬令によると、天皇の葬儀を国葬と位置付けていたようですが、国家への功労者の葬儀についても定めていたようです。

国葬令とは、1926年(大正15年)に制定された勅令。1947年12月31日限りで失効した。天皇の葬儀(大喪儀)を「国葬」と位置付けていた他、皇族の葬儀、国家への功労者(「偉勲ある者」)の葬儀について定めていた。

しかし、こちらは1947年に失効されています。

にもかかわらず、吉田茂氏の国葬をなぜ開催することになったのでしょうか。

吉田茂氏の国葬開催決定の理由は?

国葬令が1947年に失効となったにもかかわらず、1967年に吉田茂氏の国葬が行われています。

いったいなぜ?だったのでしょうか。

それは、吉田茂氏を師と仰いでいた佐藤栄作氏の一言で開催が決定したようです。

1967年10月20日に吉田茂氏に死去されました。

吉田茂氏は、終戦の翌年1946年から1954年の間、首相を7年間務めており、その功績をたたえ「吉田学校」の優等生だった佐藤栄作氏は恩師である吉田茂氏の葬儀は必ずや国葬ですると決めていたといいます。

吉田茂氏が亡くなった一方を外遊先のマニラで知った佐藤栄作氏は、官房長官に電話を入れたことを当時の日記に記していました。

「直ちに東京に電話して木村(俊夫)官房長官に、国葬の儀をとりはからふ様命ずる」

すぐに帰国の途についた佐藤栄作氏は国葬開催を実行するため、臨時閣議を開催。

佐藤は週明けの同23日午前、臨時閣議を開き、吉田元首相の国葬を閣議決定する。息つく暇もなく佐藤は、吉田家の密葬であるミサに出席し、さらに喪服を着替えて、昭和天皇の滞在先の浦和に向かう。東南アジアなどの訪問と、吉田国葬について内奏(報告)するためだ。野党側は共産党を除き、吉田国葬について反対の大きな動きはなく、佐藤は吉田の死後3日で戦後初の国葬実施を決めることが出来た。

引用元:https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00841/

佐藤栄作氏は吉田茂氏の死後わずか3日で国葬を開催することを決定させたのです。恩師への思いは相当なものだったということが伺えます。

では、当時の国葬費用はどのくらいだったのでしょうか?

吉田茂氏の費用はどのくらい?

安倍元総理の国葬費用は16.5億円といわれていますが、吉田茂氏はどのくらいだったのでしょうか。

1870万円(2022年現在の価格:7,854万円相当)

といわれています。

安倍元総理の国葬に議論が出ているもわかる気がしますね。

さらに、吉田茂氏の場合は学校をはじめ官公庁が半休になっていたようです。

吉田茂氏の国葬は学校は休み?半休?

吉田茂氏の国葬の時は、学校は半休、官公庁においても仕事の差し障りがない程度に職員は早退していたといいます。

1967年10月25日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)によると、政府は当時、国葬当日の午後について、官公庁は業務に差し障りのない程度に職員を早退させ、国公立の小、中、高校、大学も午後は休校としたという。民間の学校や企業もこれにならうよう要請し、一般家庭にも当日弔旗を掲げ、午後2時前後に1分間の黙祷をするよう要請したという。

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/1f9105fa2dd246bb34ad93d209600c844278cd4d

また民間企業にも極力半休を促し、一般家庭においては午後2時前後に1分間の黙祷をするようにしたそうです。

さらに、ボートレース場や競馬など公営ギャンブルは開催せず、テレビ番組においてもドラマや歌謡ショー、CMの放送を禁止したとありました。

なお、安倍元総理の国葬にあたっては新聞報道によりますと、学校や官公庁などにこれらの要請はしないとのことです。

さいごに

戦後、首相経験者で初めて国葬開催となった吉田茂氏の国葬がいつだったのか?また開催決定となった理由や費用についてもみてきました。

特に、開催理由については国葬令が廃止になったにもかかわらず、7年者間首相を務め功績を残した恩師の葬儀を「国葬ですると決めていた」という佐藤栄作氏の熱意は相当なものだったと伺えますね。

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